「あの稟議書、社長の机の上で止まっていませんか」。備品購入や外注発注のたびに紙の稟議書を回し、社長の押印を待って決裁する。多くの中小企業でいまも続いている光景です。しかしテレワークや出張が当たり前になった今、紙とハンコの決裁は業務のボトルネックになりつつあります。本記事では、専門のシステム会社に依頼せず、ノーコードツールで稟議・申請ワークフローを自作する具体的な手順を、ツール比較・料金・法令上の留意点・導入事例まで含めて解説します。
ワークフローシステムとは
まず言葉の定義から整理します。仕組みの理解があいまいなまま「とりあえずツールを入れる」ことが、失敗の最大の原因になるためです。
ワークフローシステムの定義
ワークフローシステムとは、申請・承認・決裁という一連の手続きを電子化し、あらかじめ決めたルートに沿って自動で回す仕組みのことです。申請者がパソコンやスマートフォンから入力すると、承認者に通知が届き、承認ボタンを押すだけで次の承認者へ進みます。誰がいつ承認したかの記録(承認履歴)が自動で残る点が、紙との決定的な違いです。
ノーコードとは、プログラミングの知識がなくても、画面上の部品を並べる操作だけでアプリを作れる開発手法のことです。以前は数百万円のシステム開発が必要だった稟議の電子化が、いまでは総務担当者が自分で数日で作れるようになりました。
紙とハンコの稟議が生む4つのムダ
紙の稟議には、次の4つのムダが必ず発生します。
- 滞留:承認者が出張・外出していると、その間まったく進みません。1件あたり数日の待ちが常態化します。
- 所在不明:いま誰の手元にあるのかが分からず、申請者が席を回って探すという不毛な時間が生まれます。
- 差戻しの手間:記入漏れや金額誤りが見つかると、紙を戻して書き直し、また最初から回覧し直しになります。
- 内部統制の弱さ:後から日付を書き換えられる、承認印を代わりに押してもらえる。誰が本当に承認したのかを証明できません。
当協会がDX支援の現場で最も多く相談を受けるのは、2番目の「所在不明」です。ある建設資材卸のお客様(従業員34名規模)では、月末に経理担当者が未回収の稟議書を探し回るのが恒例行事になっていました。金額の大小にかかわらず捜索時間は同じかかるため、少額の申請ほど非効率が際立ちます。
自社に合う方式の選び方
選択肢は大きく3つです。第一に、すでに契約しているグループウェア(Google Workspace や Microsoft 365)の機能で作る方法。追加費用がほぼ不要で、まず試すのに向きます。第二に、kintone や AppSheet のようなノーコード基盤で作る方法。申請の種類が多く、条件分岐も必要な場合に適します。第三に、稟議専用のワークフローSaaSを契約する方法。承認ルートの階層が深い、あるいは監査対応を厳密に求められる企業向けです。
判断の目安は「申請様式が5種類以下ならグループウェア、6種類以上または条件分岐が必要ならノーコード基盤」と考えると大きく外しません。
ノーコードツールの比較と料金プラン
主要5方式の比較表
| ツール/方式 | 初期費用 | 月額の目安 | 作りやすさ | 承認ルートの柔軟性 | 向く規模 |
|---|---|---|---|---|---|
| kintone | 不要 | 1ユーザー1,000〜2,000円台(最低契約人数あり) | 画面操作中心で分かりやすい | 高い。条件分岐・複数承認に標準対応 | 20〜300名 |
| Google Workspace(Google フォーム+Google Apps Script) | 不要 | 既存契約内で追加負担なし | フォームは簡単。分岐や通知は簡易な記述が必要 | 中程度。凝ったルートは作り込みが要る | 〜50名 |
| Microsoft Power Automate | 不要 | 1ユーザー15ドル前後〜(Microsoft 365 に一部機能を同梱) | 部品を線でつなぐ形式。慣れが必要 | 非常に高い。多段承認・例外処理も可 | 30〜500名 |
| AppSheet | 不要 | 1ユーザー5〜10ドル前後(Google Workspace の上位プランに同梱の場合あり) | 表計算ソフトが元になり取り付きやすい | 中〜高。スマホ申請に強い | 10〜100名 |
| 専用ワークフローSaaS | 数万円程度かかる場合あり | 1ユーザー300〜1,000円台 | 最初から稟議用に作られており設定が最短 | 高い。組織階層に沿ったルートが標準 | 50名以上 |
料金プラン表
| サービス | プラン | 月額の目安(1ユーザー) | 主な違い |
|---|---|---|---|
| kintone | ライトコース | 1,000円前後 | 基本のアプリ作成。外部連携や高度な機能は制限 |
| スタンダードコース | 1,500〜2,000円台 | プラグイン・外部連携・詳細なアクセス権限に対応 | |
| Microsoft 365/Power Automate | Microsoft 365 Business Standard | 2,000円前後 | Office アプリ一式。基本的な自動化機能を同梱 |
| Power Automate Premium | 15ドル前後 | 高度な承認フロー、外部システム連携、処理履歴の管理 | |
| AppSheet | Starter | 5ドル前後 | 基本のアプリ作成・簡易な自動化 |
| Core | 10ドル前後 | 承認フローや高度な自動化。Google Workspace の上位プランに含まれる場合あり |
※2026年8月時点の目安です。プラン構成・価格・最低契約人数は改定されるため、最新は各社公式サイトを確認してください。海外サービスは為替により円換算額が変動します。
選び方の目安
すでに Google Workspace か Microsoft 365 を契約しているなら、まずはその中の機能で1様式だけ作ってみることを強くおすすめします。追加費用ゼロで「電子化すると何がどう変わるか」を体感でき、その経験が有料ツールを選ぶときの判断材料になります。いきなり専用SaaSを契約すると、要件が固まらないまま機能を持て余しがちです。
作り方の7ステップと法令上の留意点
Step 1〜4:棚卸しからフォーム作成まで
Step 1:申請様式の棚卸し。 現在使っている申請書をすべて集め、様式名・年間件数・承認者・平均決裁日数を一覧にします。件数の多い上位3様式が電子化の優先対象です。全部を一度に電子化しようとすると必ず頓挫します。
Step 2:承認ルートの設計。 誰から誰へ、何円までは誰の決裁か、を書き出します。ここで社内の実態と規程がずれていることがよく判明します。「規程では部長決裁だが実際は社長が全件見ている」といったズレは、この段階で整理してください。
Step 3:フォームの作成。 入力項目は必要最小限にします。紙の様式をそのまま再現するのではなく、実際には誰も見ていない欄を削るのが成功の分かれ目です。金額・件名・理由・希望日の4項目で足りる申請は少なくありません。
Step 4:条件分岐の設定。 「10万円未満は部長決裁、10万円以上は社長決裁」といった金額による分岐を設定します。分岐は多くても3パターンまでに抑えてください。増やすほど、後の保守が難しくなります。
Step 5〜7:通知・試験運用・規程改定
Step 5:通知設定。 承認者にメールやチャットで通知が届くようにします。あわせて、一定期間動きがない申請を督促する仕組みを入れると滞留が激減します。通知は「承認依頼」と「督促」の2種類で十分です。
Step 6:試験運用。 1部署・1様式に限定して1か月動かします。この間は紙と併用して構いません。現場から出た「入力しづらい」という声は、この段階でしか拾えない貴重な情報です。
Step 7:規程改定。 職務権限規程や稟議規程に「電子承認をもって決裁とする」旨を明記します。ここを飛ばすと、監査や税務調査の際に「決裁の根拠は何か」を説明できなくなります。中小企業のDX・AI活用情報サイトでも、規程整備を含めた進め方を紹介しています。
電子帳簿保存法・電子署名法まわりの留意点
電子化にあたっては、法令面の確認も欠かせません。ただし要件は改正されることがあるため、以下は考え方の整理として捉え、実施前に必ず最新の公式情報(国税庁・デジタル庁等)や顧問税理士に確認してください。
1つ目は、電子帳簿保存法の対象になるかの切り分けです。稟議書そのものは社内の意思決定文書であり、必ずしも同法の保存対象とは限りません。一方、稟議に添付した見積書や請求書などの取引関係書類は保存要件の対象となる可能性があります。添付ファイルの保存方法は税理士に確認するのが確実です。
2つ目は、電子署名法との関係です。社内の稟議承認は、契約のように相手方が存在する行為ではないため、電子署名法上の要件を満たす電子署名が必須とは限りません。多くの企業では、ID・パスワードによる本人確認と承認履歴の記録で運用しています。ただし、社外と取り交わす契約書の締結は別の論点であり、電子契約サービスの利用を検討すべき領域です。
3つ目は、履歴の保全です。誰がいつ承認したかのログを、後から書き換えられない形で残せるかを確認してください。表計算ソフトを土台にした仕組みでは、履歴が編集可能なまま残るケースがあります。
導入事例
事例1:建設資材卸のお客様(従業員34名規模)
課題:月間約70件の購買稟議がすべて紙。社長の出張中は決裁が止まり、平均決裁日数は4.2日。月末には未回収の稟議書を経理担当者が探し回っていました。
打ち手:既存契約の Google Workspace を活用し、Google フォームで申請を受け、Google Apps Script で承認者へ自動通知する仕組みを構築。10万円を境に承認者を切り替える分岐を設定しました。
効果:平均決裁日数が4.2日から0.8日に短縮。稟議書の捜索時間(月あたり約6時間)がゼロになりました。追加のツール費用は発生していません。
事例2:金属加工のお客様(従業員62名規模)
課題:申請様式が11種類あり、様式ごとに承認ルートが異なるため紙運用が複雑化。差戻しが月20件超発生し、そのたびに書き直しと再回覧が生じていました。
打ち手:kintone を導入し、件数の多い上位3様式から順次移行。入力必須項目と入力形式を設定し、記入漏れ・単位誤りが物理的に起きないようにしました。
効果:差戻しが月20件超から月3件へ減少。総務担当者の申請書取りまとめ業務が週5時間から週1時間になりました。
事例3:介護事業のお客様(従業員48名規模)
課題:職員が複数拠点に分散し、休暇申請や備品購入の紙が拠点間を往復。申請から決裁まで1週間かかることも珍しくありませんでした。
打ち手:AppSheet でスマートフォンから申請できるアプリを作成。現場職員が移動中でも申請でき、管理者もスマートフォンで承認できるようにしました。
効果:申請から決裁までの平均が6.5日から1.2日へ短縮。拠点間の書類郵送費と移動もなくなりました。
デメリット・注意点
作った人しか直せない「新たな属人化」
ノーコードで最も多い落とし穴です。担当者が一人で作り込み、その人が異動・退職すると誰も手を入れられなくなります。対策は、設定内容を簡単な手順書に残し、少なくとも2名が触れる状態を保つこと。ノーコードは「作りやすい」だけで、「引き継ぎやすい」わけではありません。
現場の運用が変わらなければ効果は出ない
システムを入れても、承認者が通知を見ずに放置すれば滞留は解消しません。電子化の効果は仕組みではなく運用習慣で決まります。「承認は原則1営業日以内」といった運用ルールを同時に定め、経営層が率先して守ることが不可欠です。
作り込みすぎるとかえって使われない
入力項目や分岐を増やすほど、申請者にとって面倒な仕組みになります。紙より入力の手間が増えれば、現場は必ず元の運用に戻ります。最初は項目を削りすぎるくらいでちょうどよく、足りなければ後から足す方が定着します。
コストは月額だけでは測れない
ツールの月額は数千円でも、設計・移行・教育に総務担当者の工数がかかります。最低契約人数が定められているサービスでは、実際の利用者が5名でも10名分の料金が発生することがあります。契約前に、最低人数・年間総額・解約条件の3点を必ず確認してください。
よくある失敗パターンと対策
失敗1:全様式を一度に電子化しようとする
11種類の申請書をすべて同時に移行しようとして、設計段階で力尽きるパターンです。対策は、年間件数の多い上位3様式に絞ること。件数の多い様式ほど効果が大きく、成功体験が社内の推進力になります。少額かつ頻繁な申請から始めるのが定石です。
失敗2:紙の様式をそのまま再現してしまう
使われていない欄まで律儀に画面化し、入力の手間が紙より増えるパターンです。対策は、Step 1の棚卸しの際に「この欄を見て判断している人はいるか」を承認者に直接確認すること。答えられない欄は削って構いません。
失敗3:規程を直さないまま運用を始める
電子承認で運用しているのに、規程上は押印による決裁のままというズレです。監査や金融機関の確認で指摘を受ける原因になります。対策は、試験運用の完了と同時に規程改定を行い、改定日と適用範囲を議事録に残すこと。ここまでやって初めて電子化は完了します。
まとめ
- 紙の稟議は、滞留・所在不明・差戻し・内部統制の弱さという4つのムダを構造的に生みます。
- まずは既存契約の Google Workspace や Microsoft 365 の機能で1様式だけ作り、効果を体感してください。
- 申請様式が6種類以上、または条件分岐が必要なら kintone・AppSheet などのノーコード基盤が有力です。
- 作り方は7ステップ。棚卸し→ルート設計→フォーム→分岐→通知→試験運用→規程改定の順で進めます。
- 電子帳簿保存法・電子署名法の要件は改正されるため、実施前に最新の公式情報と顧問税理士に必ず確認してください。
- ノーコードは新たな属人化を生みやすい。手順書を残し、2名以上が触れる体制を保ってください。
最初の一歩は、現在使っている申請書を机の上に並べて枚数を数えることです。そこから、自社にとって本当に効果の出る1様式が見えてきます。


